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語ろうか 手話について 掲示板

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私なりの回答  投稿者:神田和幸  投稿日:2008年10月 8日(水)20時47分27秒
  ここの掲示板をお借りするのは徳田さんに申し訳ない気がしますが、ご質問をいただいたのでお答えしたいと思います。

m902さんへ(ご質問ではありませんでしたが)
文化をどう定義するかですが、私はミードの「文化とは人間の行動様式」という定義が好きです。そして同一文化を共有する集団をコミュニティと定義します。すると、日本文化という大きな集合の下に、地域文化、性(男女)文化などの下位文化があり、障害者文化があると思います。韓国系日本人の文化もあるでしょう。ろう文化はそういう下位文化だと考えています。聴覚障害だけだと世界共通な現象で、確かにそういう行動様式もありえますが、私の観察した範囲では、「日本のろう」文化だと思います。同じろう者でもろう学校卒業生と普通校卒業生では文化が違うように感じます。

末森さん
>「ASL-PSE-MCE連続体」という概念と,「日本手話/中間型手話/日本語対応手話」とい>う状況把握は同じようなものと捉えてよろしいのでしょうか?

違うと思います。日本にMCJが存在していないように思います。栃木校の同時法がそれを
目指していたように思いますが、どの程度成功したのでしょうか。そして今でも継続されているのでしょうか?聞いたところでは「中間型」がほとんどだそうですが。
言語連続体という意味では同じ概念ですが、中身は日本型だと思います。

>また神田さんが「中間型手話」と「日本語対応手話」という語句を用いられるときは,両>者の概念をどのように区別しておられるのでしょうか?
混乱するので私はできるだけ使いたくないと思っています。ですから「いわゆる」とか「」
付けにして、世間で使われている意味で、というニュアンスを表現しているつもりです。

北欧ですが、私が留学していた1990年代は手話を区別していませんでした。そもそも
聴覚障害者の認定基準はかなり低く30dBぐらいから障害ありと考えるようです。子供であれば少しでも障害が見られたら、音声言語チャンネルと手話チャンネルを並行させ、子供が選択するような環境を与える、という考え方です。同じ子供が状況により、どちらかを選択したり、併用することもあるので、それを大人側が制御しない、ということです。
実用主義というか、アメリカのような民族主義を批判していました。というのは北欧の国々は小国なので、別の意味で民族性が大切なのです。ですから例えばデンマークの公用語は
デンマーク語とデンマーク手話ですが、英語も使えますし、ドイツ語も使えます。ろう者はデンマーク手話だけでなく、デンマーク語や英語も使えます。英語をとても上手に話す
ろうの高校生と出会って、私は非常にショックと感動を覚えました。最初、聾者だとわから
なくて普通に英語で話してました。なんと私の日本英語の唇が読めたのです。むろん、この子は英才教育を受けた天才少女だったのですが、それにしてもすごい、と思いました。
日本では英語が口で読めて話せるろう者など考えもしないでしょう。日本語だけで精一杯。
それが日本の聾教育の実力でもあります。

だみあさんへ
いまどういう言語を話しているのか、という意識を探るのはなかなか大変ですが、
たとえば英語と日本語の混交を使用している場合を想定してください。コードスイッチング
というのですが、これは明確にきちんとスイッチしているのではなく、あるところかスイッチするとかんがえられています。
「ねえ、ゆうべテレビ見た?Catherline Zeta Jones ってShe is more than beautiful.
She is so sexy, isn't she?」「Ya, she is. でも最近Luxのコマーシャルでてないよね」
こんな感じで、あるキーになる単語でスイッチするらしいです。

> 対話しているの双方が、自身も相手も「日本語が母語」「手話の知識が充分」であるこ>とを理解していて、「音声だけでは対話できない」状況下にあるとします。

この場合もコードスイッチが起きる可能性があります。口話日本語とピジン手話が文の途中や会話の途中でスイッチしてもおかしくありません。本人たちは自分たちでもどこでどう
変わったのか認識できないでしょう。

>全部、日本語のつもりで話しているので。
本当にそうなのでしょうか?日本語だといつも意識しつつ話されているのですか?
普通は何も意識しないと思います。外国語でも、長い間使っていると、とくに意識しなく
なります。「自分の言語」になった後は使用を意識しないのが普通だと思います。
私にとって手話は第3言語ですが、それでも時々、自然に手が動いていて、それはジェスチャではないのですが、自分的には無意識にジェスチャーのように使っているのだと思います。「かまわない」とか「7人」など、つい出てしまいます。

長々と、そしてお待たせして申し訳ありませんでした。
 

生成語彙  投稿者:神田和幸  投稿日:2008年10月 8日(水)20時10分22秒
  今回の内容はとても言語学的にもおもしろかったです。今、私が研究しているのは手話の形態論なのですが、手話を単語という視点でなく形態素という視点から解析すると、似たような考えにたどりつきます。自然言語処理が音声言語の形態素処理で成果を上げられたように、これまでの統語論主体の言語研究でなく、形態論中心にしょうという流れが欧米でもあります。言語学も変わってきているのです。  

日本の手話について  投稿者:まつだ  投稿日:2008年10月 7日(火)17時08分59秒
  日本の手話に対してどのような研究を行っているかは分かりませんが、する側と見る側で解釈の仕方や読み取り方は変わるように思います。コミュニケーションは完全ではないので。言葉の構築や理解する際の判断材料など、文法だけでなく、理解する際のそれぞれの傾向をデータとしてつくり、平均化すればなにらかの判断材料になる気がします。まだ推測ですが。。ただ、このデータよってはみんなに直感的に、平均的に伝えやすい手話を目指すといったことは可能になるのかなと思う次第です。  

日本語の手話表現  投稿者:だみあ  投稿日:2008年10月 6日(月)18時47分22秒
  神田先生へ:

> ろう者、聴者、難聴者を問わず)使用者が日本語を意識しつつ手話表現する場合、2つのケースが

 使用者の母語が日本語な場合に限定すると、この「2つのケース」は区別されなければ
ならないのかどうか、というあたりが疑問なのです。

 対話しているの双方が、自身も相手も「日本語が母語」「手話の知識が充分」であることを
理解していて、「音声だけでは対話できない」状況下にあるとします。
 このとき、なるべく双方が「楽に」対話できるよう、口話のみ、口話の一部に手話を付ける、
口話のほぼ全部に手話を付ける、ほぼ全部に手話を付けるた上で一部の口話を省略する、
ほぼ全部に手話を付けるた上で大半の口話を省略する(≒手話のみ)、といった話し方の間を
行き来します。
 こういう対話を日常的に繰り返していると、上記の「口話のみ」から「手話のみ」への
連続的な変化のどこかに、日本語と日本語ではない言語との境界がある、というようには
考えにくいのですが。全部、日本語のつもりで話しているので。

 ただし、「結果的に手話が並んでいるだけ」であっても、「日本語を話している」意識の下で
手話を並べていることと「日本手話」的なものを意識して手話を並べることとの間には、違いを
感じます。
 

北欧諸国の状況  投稿者:末森明夫  投稿日:2008年10月 3日(金)07時55分24秒
  神田さんの再度のご教示のほどをお願いいたします。

>アメリカでは言語と民族は一体という主張なので、ピジンのような混交言語を
>認めたがらない風土があります。(中略)
>つまりろう者の力が強くなり、手話はASLしか認めない、
>という信条を共有しているとご理解ください。

米国の事情はあらかた承りましたが,北欧諸国では手話の区分ないしはいわゆる音声言語対応的な手話表現に対する動向はどのようになっているのでしょうか?

==
 

手話の区分  投稿者:末森明夫  投稿日:2008年10月 3日(金)07時50分16秒
  神田さんにいろいろとご教示頂き痛み入ります。

多忙を極める神田さんに重ねて質問を行うことになり恐縮の極みではありますが,せっかくの機会でもありますので何卒よろしくお願いいたします。


>ASL-PSE-MCE連続体は1980年代の考えで(後略)

>日本手話使用者は少数で、いわゆる日本語対応手話ないし中間型手話の使用者
>が多数という現状を見ると、両者をひとまとめにして「日本の話」(Japanese
> sign languages)というのがよいように思います。

「ASL-PSE-MCE連続体」という概念と,「日本手話/中間型手話/日本語対応手話」という状況把握は同じようなものと捉えてよろしいのでしょうか?



>日本手話使用者は少数で、いわゆる日本語対応手話ないし中間型手話の使用者
>が多数という現状を見ると、両者をひとまとめにして「日本の手話」(Japanese
> sign languages)というのがよいように思います。

また神田さんが「中間型手話」と「日本語対応手話」という語句を用いられるときは,両者の概念をどのように区別しておられるのでしょうか?

==
 

日本手話=ろう者=ろう文化  投稿者:m902  投稿日:2008年10月 1日(水)17時40分15秒
  日本手話=ろう者=ろう文化と言われて久しいですが、ろう文化や日本手話といわれているものは、実は存在しないのではないかと考えていたりします。
あくまで個人的な意見としてですが、聴力損失による文化や言語がありえるのなら、中途失聴者や高度難聴者をどう扱うのか、また彼らの使う手話をどう捉えるのかと言った問題にもなるかと思います。

ろう者が使う手話は単にそのろう者が通ったろう学校内でのコミュニティツールとしての言語にすぎないし、ろう文化などと言うものもその内実はろう学校文化に過ぎないのではないかと考えてます。
各地のろう学校で自然発生的に誕生した手話をひとくくりに日本手話というのも乱暴な話ではないかと。

聴力損失が高度であれ軽度であれ、ろう学校に通い手話を覚えればろう者となり、ろう文化となると言うのはいささかこじつけのような気もします。
 

(無題)  投稿者:神田和幸  投稿日:2008年10月 1日(水)17時34分45秒
  まず、だみあさんのご質問についてお答えします。(なんだかQ&Aみたいですが)
日本語対応手話というのは元々固有名詞として命名されたのですが、それが普通名詞化する過程で意味が広がって、各自が勝手な解釈をするようになってしまいました。

(ろう者、聴者、難聴者を問わず)使用者が日本語を意識しつつ手話表現する場合、2つのケースが考えられます。1つは知っている手話単語を並べていくもの、これは使用者本人が「手話で話している」という意識があります。これはピジン手話です。2つ目は口話(発音してもしなくても)を中心にして、時々手話を混ぜるもの、この場合、使用者は日本語で話しているという意識があります。これは手話付口話(Sign Supported Speech=SSS)と呼ばれるものです。両者は表面的には似ているので区別しにくいです。
わかりにくいので英語の例を考えてみましょう。
ピジン英語だと You は me を love ね?あるいはYou, me, love?(Do you love me?)
SSSは英語と日本語では存在しえないのですが、例えとして ユーはミーをラブしているの?こんな感じです。

末森さん、お久しぶりです。

ASL-PSE-MCE連続体は1980年代の考えで、多くの手話学者、ろう者は間違いだといいますが、今でも正しいと考えている人もいます。間違いという理由はASLはろう者の言語、MCE
やSigned EnglishはSimComと同じで、聴者の表現だという理由だからです。アメリカでは
言語と民族は一体という主張なので、ピジンのような混交言語を認めたがらない風土があります。
アメリカではASLに対しては科学的言語研究が進められています。しかし、PSEには関心がなく、聴者の手話を軽んずる傾向があります。複合言語文化国家でありながら、同化主義の伝統も根強く、バイリンガル教育も憲法でありながら実践がうまくいってないのも事実です。
手話については個別言語として認め、手話による教育は憲法に保証されているので、ろう学校では手話教育をしています。手話通訳はその延長線にあるため、ASLであることが当たり前であり、上手か下手か、というレベル分けに関心が行きます。
つまりろう者の力が強くなり、手話はASLしか認めない、という信条を共有しているとご理解ください。

>「日本手話=ろう者=ろう文化」という思想が広まってしまった現況の是正を図るためには何をすればいいのでしょうか?

日本はアメリカとは言語事情、社会事情がかなり違うと思います。ろう者(と自分で思う人)の多くは日本手話を母語としていないし、手話人口の多くが聴者である、という事実があります。手話使用者という面から見ると、日本手話使用者は少数で、いわゆる日本語対応手話ないし中間型手話の使用者が多数という現状を見ると、両者をひとまとめにして「日本の手話」(Japanese sign languages)というのがよいように思います。○○語という表現をしたいなら「ろう語」(私は老後みたいで嫌ですけど)というのも一案です。

>また全日本聾唖連盟はこのような現況に対してどのような見解を示すべきなのでしょうか?

運動体としてどう考えるかは、内部で議論されるしかないです。まったくの私見ですが、
以前から「ろう者」「手話」と表現されてきたので、そのままでよいように思います。

日聴紙などでも質問があったようですが、私なら「日本手話もいわゆる日本語対応手話もすべて日本の手話です。(どちらも方言であり、東京弁、大阪弁があるのと同じことです。
東京弁が標準語という訳ではありません)」と答えます。

現時点の手話研究では、日本手話の文法はだんだんわかってきました。しかしNMSだけではないので、ほとんどの人は手話の文法を知りません。知らなくても使用できるからです。
ピジン手話の文法は研究されていないので、「日本語文法と同じだ」と勝手に言っている人がいるだけです。

すみません、いつも長くなってしまいます。
 

啓発活動  投稿者:末森明夫  投稿日:2008年 9月30日(火)07時37分39秒
  下記の件に関する神田さんのお考えをご教示くだされば幸甚に存じます。

>そもそもの誤解の原因は「日本手話=ろう者=ろう文化」という教義を広めて
>しまったことにあります。これは教義、でなければ思想であり、科学的事実で
>はありません。(アメリカでは、複合言語国家なので、ほぼこの教義が信じら
>れています)

「日本手話=ろう者=ろう文化」という思想が広まってしまった現況の是正を図るためには何をすればいいのでしょうか?

また全日本聾唖連盟はこのような現況に対してどのような見解を示すべきなのでしょうか?

==
 

日本語対応手話  投稿者:末森明夫  投稿日:2008年 9月30日(火)07時34分24秒
  下記の懸案についても神田さんのご教示にあずかりたく存じます。

>そもそもの誤解の原因は「日本手話=ろう者=ろう文化」という教義を広めて
>しまったことにあります。これは教義、でなければ思想であり、科学的事実で
>はありません。(アメリカでは、複合言語国家なので、ほぼこの教義が信じら
>れています)

米国では「ASL=Deaf=Deaf Culture」という概念が支配的であるというように理解してよろしいのでしょうか?

また「アメリカでは、複合言語国家なので、ほぼこの教義が信じられています」
ということは,米国では手話に対する科学的対応がなされていないということに
なるのでしょうか?あるいはASL等の文法に関する科学的研究活動と,聾者・ASLの社会啓発活動が遊離してしまっている状況にあるということになるのでしょうか?

==
 

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